コラム | YOKOと過ごすフランス時間 | Pâques 祈り

 

Bonjour à tous !

今日はキリスト教の復活祭です。
フランス語ではPâquesパックといいます。

ご存知のようにイエス・キリストが十字架にかけられて3日後に蘇ったことを祝福する日で、フランスでは毎年教会で盛大に祭典が執り行われます。
でも今年はみな自宅でそれぞれの方法でお祝いするのだと思います。
そして、今回は本当なら映画「男と女」の舞台にもなった町、ドーヴィルをご紹介しようと思っていたのですが、ちょうど復活祭の今日、私とフランスとの関わりにキリスト教が大きく存在していることをお話させていただきながら、「祈り」の時間をご一緒に過ごして頂ければと思いました。私的なことなのでどうかな?と最後まで迷ってしまい。。。ドーヴィルを楽しみにしていてくださった方はどうかお許しくださいね。

次回たっぷりご紹介いたしますので。

私には熱心なクリスチャンの伯母が二人いて、一人の伯母はすでに他界しましたがこの伯母たちの影響で幼少期から聖書や教会が近い存在でした。
伯母たちは戦争中に疎開先でキリスト教と出合ったそうです。
私の母も二人の姉にあたる伯母たちと一緒に疎開先で礼拝に通っていましたが、まだ小さかったので深く信仰するには至らなかったようです。
それでも私と姉、弟は幼児洗礼を受けました。
その後、私が幼稚園に入る直前の春休みに、それまで暮らしていた神戸市東灘区から急に垂水区に引っ越さなくてはならなくなり、すでに入園手続きも全部終わっていたにもかかわらず、大急ぎで幼稚園を新たに探し、特に母にとっては大忙しの春を過ごすことになりました。
母は私のために新しい家からも近く、当時まだ少なかったモンテッソーリ教育を取り入れていたカトリックの幼稚園を選びました。通っていた頃は幼すぎてここが17世紀まで遡るFille de la Charité愛徳の娘(後の愛徳姉妹会)のシスターたちが作った幼稚園だなんて知る由もありませんでしたが、今思うと、この聖マリアの園幼稚園こそ私とフランスの関係のルーツに思えてならないのです。

厳しいシスター達も多く、楽しい思い出と同じくらい叱られた思い出もある幼稚園時代でしたが、無意識の間にフランス的精神の洗礼も受けた時期なのだと。。。

この幼稚園を運営している愛徳姉妹会は総本部がパリにあります。
きっとフランス好きの皆さんならご存知の左岸のデパート、ボンマルシェの隣にある「不思議のメダイの聖母の聖堂」と呼ばれているあの有名な聖地です。

その後、私は大学もやはりフランス系のカトリック大学に行くことになり、4回生の時にフランスへ留学します。
この留学時代にもキリスト教に関係する不思議な出来事に遭遇しました。

留学先に選んだのはマリア信仰が強いリヨンにあるカトリック大学でしたが、住まいとして最初に選んだワンルームマンションでの一人暮らしがとても淋しく、学生寮か下宿のようなスタイルに変えたいと思っていました。
でも慣れない町で知り合いもなく、どうしてよいかもわからないまま時間が過ぎていました。
ある週末に中心部から少し外れた静かな住宅街を散歩していて横断歩道で信号待ちをしていたときに、二人のご婦人が世間話をしているのが視界に入ってきました。

なんとなく、本当になんとなくそのうちの一人のご婦人が気になって。。。

あの時、自分の中で起こった「何か」を表現することはできないのですが、まるで「この人助けてくれますよ」という声が聞こえたかのようにその女性に頼りたい気持ちが抑えられなくなりました。

そしてこの二人が話を終えるのをそばでじっと待っていました。時々私の方を見る二人の女性に見知らぬアジア人の女の子はとっても奇妙に映ったと思います。

ようやく話が終わるころ、私は思い切って「近くによい不動産屋さんはないでしょうか?」と気になったほうのご婦人に声を掛けました。するとその女性は「あなたは学生ですか?日本人ですか?」と聞いてきたので、「はい」と答えると「ついていらっしゃい」とそれだけ言って足早に歩き始めました。

そして、1、2分で到着した重厚な扉を開けるとそこは修道院の女子寮でした。
この女性は私服を着ていましたが、ここの修道院で一番偉いシスターだったのです。

いつも満室でフランス人の希望学生でもキャンセル待ちリストに名前を残して待たなければならない人気の女子寮でしたが、ちょうど一室空きが出たところで、このシスターはきっと私の切羽詰まった雰囲気を理解してくれたのでしょう。
寮を案内して下さりテキパキと入寮の手続きを進めてくださいました。

後でわかったのですが、日本人だということもプラスだったようです。綺麗好き、優しい、慎み深いなど日本人女性はフランスでは人気者ですので。

この寮では世界中からの留学生とフランスの女子学生とシスターたちが一緒に暮らしていて、シスターの国籍も様々でここでの暮らしだけでも一冊の本が書けそうなくらいに笑いあり驚きあり涙ありの忘れられない日々を過ごすことになりました。



今日は、この寮で出会い今でも仲良くしているソフィーの実家に招待してもらった時の写真を披露いたしますね。

 

リヨン大学で政治学を勉強していたソフィーの当時の実家はシェルブールにあり、夏休みに日本に帰らないという私を心配して自分の家に遊びに来るよう誘ってくれました。

お家に到着してみるとびっくり!まるでお城のようなお屋敷だったのです。

この夏はソフィー以外からもお誘いを受け、フランスの地方を移動しながら色々な家族と夏休みを過ごした経験によって、フランスの家族の在り方、子供達の躾、食生活など今振り返ってもこれ以上豊かな経験はないと思える貴重な時間を過ごしました。

また、留学を終える頃には、幼稚園の時にお世話になっていたベルギー人のシスターが、パリの本部に戻られているから会いに行くように、と日本にいる母から連絡を受け、先述のボンマルシェの隣の教会で懐かしいシスターとの再会を果たしたのでした。

 

本日のコラムはこんなふうに長い文章になってしまいましたが、最後まで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。

今、世界中が命を守ることと真摯に向かい合っています。と同時にこのウイルスで命を落とされた方が世界ですでに10万人にも達しています。

美しい教会が多く存在するフランスでは祈ることが日本にいる時より自然で身近に感じます。写真にある聖水盤と十字架はマリー=アントワネットが最後の時を過ごしていた部屋の壁に掛けられていたそうです。そして、その部屋から下を見下ろす場所にはこのような小さな中庭があります。

マリー=アントワネットが最後の日々で祈りを捧げていた場所に、また近い日に身を置きたいと深く感じています。



シャルトルの大聖堂の写真などもご覧いただきながら、皆様の日々が穏やかに流れますように。


 

そしてこのウイルスで失われた尊い命に寄り添いながら祈りの時間を過ごすことができれば幸いです。

Joyeuses Pâques

YOKO

 

P.S.

祖母がお薬を入れていた形見のアンティークのピルケースに幼稚園のバッジと不思議のメダイの聖母の聖堂のメダイを入れて持ち歩いています。

メダイの裏にはマリアの頭文字Mがキリストを表す十字架によって支えられています。

その下には二つの心臓、茨に囲まれた心臓とイエスの心を表すやりで貫かれた心臓が表されています。この心臓は受難を意味します。

周囲に刻まれている12の星はイエスの12人の弟子を意味すると同時に教会を表しているそうです。