Bonjour à toutes et à tous !
7月14日の革命記念日が終わり、フランスはヴァカンス一色です。
パリのオフィスは、今年は春からの自宅待機が長かったので、ヴァカンスを少し短くして溜まった仕事をこなすのかな?と勝手に想像していましたが、この日本人的発想はあっという間に崩されました!「まだ感染も続いているので今年は交代制ではなく全員同じ時期に4週間休んでオフィスはクローズよ!」と声高らかに伝えられました。先日のキャトーズ・ジュイエの花火もそうですが、やるべきことは何が何でもやるというのは彼らの特徴ですね。その視点はいつも自分たちに都合が良いことに偏ってはいますが。。。
Vacances (ヴァカンス) という言葉はラテン語のVacare (空っぽ)から来ていますので、その言葉通り「何もしない」ことが一番の贅沢という過ごし方をするのでしょう。
そして7月22日はマリー=マドレーヌの日です。何のこと?と思われる方が多いと思いますが、カトリックの国フランスでは聖人暦があります。私はフランス製の手帳を愛用していますが、日付、曜日と共に毎日その日の聖人名が記されています。
聖女マリー=マドレーヌはマグダラのマリアといえばご存知の方も多いと思います。イエスの足に香油を塗った女性でも有名ですね。そのことから美容師の守護聖女です。そして、ヨーロッパでは聖母マリアに次いで多く絵画の主題になっています。私は初めてルーヴル美術館を訪れた時に、強く印象に残り、その後もパリに行くたびに繰り返し見に行くことになった絵がまさにジョルジュ・ド・ラ・トゥールが描いたマリー=マドレーヌでした。
フランス語で「マドレーヌのように泣く」という表現があるのですが、これはとめどなく泣き続けることを表します。イエスの生涯に立ち会った女性が、イエスのために流した涙を表しているのですね。皆様よくご存じのパリのマドレーヌ寺院はこのマグダラのマリアに捧げられたものです。
そういえば先日、革命記念日の式典が行われたコンコルド広場は、1793年10月16日にマリー=アントワネットが処刑された場所としても有名ですが、そのことが記された銘版がオベリスクの足元に埋め込まれているのをご存知でしょうか。200年以上経っていても同じ場所に立つと歴史の重みを感じます。私はすぐそばにある大好きなクリヨンホテルでティータイムとお買い物をした後、この場所に佇んで18世紀に思いを馳せています。
さてさて、南仏になかなかたどり着けず申し訳ございません。今日はいよいよ皆さんとプロヴァンスへお出かけしたいと思います。
この地方を世界中に広めたのはベストセラーのピーター・メイル著「南仏プロヴァンスの12か月」というエッセイです。もちろんその前にも映画化もされたマルセル・パニョルの小説やジャン・ジオノの「木を植えた男」の舞台にもなっていますが、当時ピーター・メイル氏のこの本(日本語訳出版1993年)を読んで南仏に飛んで行ったフランス好きがどれほど多かったことでしょうか!私も後にシリーズも沢山出版することになるこの方の本の虜になった一人でした。
数年後、南仏でひと夏を過ごす経験をしたのですが、その時、ルールマランに住んでいたピーター・メイル氏を現地の友人から紹介してもらうという貴重な体験までしてしまいました。
南仏を知りたい方はこの本を先ずお読みくださいね。
私はサントロペ近くに別荘を持つ友人のおかげである時期、まるで自分の別荘のように毎夏をここで過ごしていました。そして、仕事でお世話になったフランジュールさんが代理店を担っていたブランド、「コテ・バスティド」の本拠地がプロヴァンスだったこともあり、海辺の南仏、山間の南仏をそれぞれじっくり知る機会に恵まれました。とりわけお仕事で担当するコテ・バスティドというブランドを深く知る目的で、ルールマランにあった伝説のお店(勝手にそう思っています)で研修と称してお店をお手伝いさせて頂いた夏は、私に正真正銘「フランス人のヴァカンス」を体験させてくれました。
ある時、お店にお洒落な女性数名が入ってきました。その様子と話しぶりからお店の責任者の二コルは「あらら、パリジェンヌご一行様のお出ましだわ」と皮肉を込めて私に呟きました。もちろんその女性達にはそんな素振りは見せませんが、明らかに嬉しくない様子でした。
そうなのです。今となればはっきり理解していますが、パリ以外に住む人達はパリの人達のことを良く思っていないのです。パリジャン、パリジェンヌの高慢な態度が嫌なのでしょうね。ですから私は地方在住の友人達の前でパリの話は控えるようにしています。泊めてもらったりお食事をご馳走になるので、その地方の良さを褒め讃えます。皆、自分たちのところが一番と思っていますので。。。実際、フランスの地方はそれぞれ特徴が違い、本当に豊かなのです。
もうひとつ面白いエピソードがあります。
ルールマランで研修をスタートした2日目の朝、お店に行く前にマルシェに行こうと歩いていたら、知らない人たちが「ボンジュール、ヨーコ」とか「あなたがヨーコね」と声をかけてくるのです。なるほど、ここは田舎です。うわさが広がるのが早いのに国境はないのだと確信いたしました。遠い遠い国からやって来た日本人は彼らの話題にもってこいだったのです。おかげで毎日のように誰かからお茶やランチ、アペリティフのお誘いを受け、しっかり日仏交流を楽しみました。
この村は当時から洗練された素敵なお店が多く、朝市も有名で素敵なサロン・ド・テもありました。
コテ・バスティドは閉店してその他のお店も多く入れ替わっていますが、今でもプロヴァンス一お洒落な村だと思います。
まだまだお話したいことがたくさんありすぎて南仏終われません!次回はルールマランで出会った妖精のようなマダムのお話をいたしますね。
皆様の夏にフランスが寄り添うことをお祈りしながら。。。
Toujours Provence et encore provence